2005年09月18日
成功へのこころの科学 34
イヤな予言、予知に怯えるな!
『起きもしないことに怯えない。来もしないことに、くよくよしないこと。』
以前、富士山が爆発するなどと、具体的に西暦何年と公に発表した人がいた。
たしか気象庁OBだったと思うが、雑誌かなにかに予告して、日本中が大騒ぎしたことがあったが、結局なにも起こらなかった。
20世紀末に人類が滅亡するというノストラダムスの予言も然り。
そうした予言・予知に乗じて、詐欺的な商売をするものが出て来たり、もっともらしく加工した類書が出まわったりして、普通の人たちをおびかすのは、とんでもないことである。
それをひとつのSF話しとして面白がっている人なら無害でいいが、中には、予言・予知を本当に信じ、そのために自殺する人もいるという。
二一世紀に入った現在も、そうした、予言・予知の類いが書店の棚にいっぱいならんでいるし、そうした予言や予告をまじめに唱える宗教的な団体、また良識を持つといわれる大学の教授等もいたりする。
なにも科学的な根拠がないのに、だれかが「X年X日に○○○が起きるゾ!」、という吹聴に惑わされて、本気でくよくよするのは、いかにそうした人の話に惑わされやすい人がいるかであり、だからまた、詐欺まがいの予言者が輩出するのかもしれない。
予言・予知に惑わされないためにも、自分のポリシー・マインドをはやく確立すべきである。
以前、不動産投資に迷っているお客さんのなかに、「大地震がきたらどうしよう(投資どころじゃない)」って聞いてくる人がいたけれど、大地震がくるかもしれない、ということが迷っている原因だったとしても、私は「起きたら、起きたでしょうがないでしょう」と、それしか答えようがないのだ。良くない予知を半信半疑にして、目の前の現実に対してリスクを背負わないで、こうなったらどうしよう、ああなったら大変だ、困っちゃうとか、ずっと考えている人がいるけれども、それではいつまでたっても、ものごとは前へ進むことはない。
すこし余談になるが、私自身、予言・予知といったもの大嫌いで、まったくといっていいほど信じていないのだが、たまたま仕事の関係者から占い師を紹介されたときに、将来を占ってもらったことがあった。それで、占う前に「悪いことは聞きたくないから、いいことだけを教えてくださいね」と前置きしてみてもらったら、「あなたは、これから先、ずっと成功し続ける」って言われ、その瞬間、ちょっと良い気分になった。
が、最後に「生きていればネ」と言われ、「バカヤロー」と心の中で叫んだことがあった。
また、新興宗教を装って、あなたは地獄に陥るぞ、みたいな予言をして、教祖が信者から五千万円だましとった事件など、よくお金を騙し取られる事件がニュースでとりあげられている。
予言・予知の類が好きで、信じたいという人でも、ほどほどに遊び心でとらえるべきである。
金を目的としたイカサマ宗教と、一般社会に認知されている宗教とは違うだろうが、宗教は、自分のためにならなくては、意味がない。少なくとも、お金を求めてばかりいる宗教は、どう考えても良い宗教とは言えない。
要は、良い事も悪い事も、起きそうもないことにおびえない、信じないことである。万一、どこかの予言があたっても、「それはマグレだ」と決めつけてしまえばいいのだ。
ちなみに、予感も予知・予言の類いだと思っている。
よく、本気か冗談かわからないが「オレの感が当たる」「オレのカンピューターだと」など、自分の感に基づいた話し方をする人がいるが、勘すなわち直感とは、合理的な認識がともなわないもので、科学的でないのである。
こころを科学するのが狙いである、本「成功へのこころの科学」に反するのである。
『起きもしないことに怯えない。来もしないことに、くよくよしないこと。』
以前、富士山が爆発するなどと、具体的に西暦何年と公に発表した人がいた。
たしか気象庁OBだったと思うが、雑誌かなにかに予告して、日本中が大騒ぎしたことがあったが、結局なにも起こらなかった。
20世紀末に人類が滅亡するというノストラダムスの予言も然り。
そうした予言・予知に乗じて、詐欺的な商売をするものが出て来たり、もっともらしく加工した類書が出まわったりして、普通の人たちをおびかすのは、とんでもないことである。
それをひとつのSF話しとして面白がっている人なら無害でいいが、中には、予言・予知を本当に信じ、そのために自殺する人もいるという。
二一世紀に入った現在も、そうした、予言・予知の類いが書店の棚にいっぱいならんでいるし、そうした予言や予告をまじめに唱える宗教的な団体、また良識を持つといわれる大学の教授等もいたりする。
なにも科学的な根拠がないのに、だれかが「X年X日に○○○が起きるゾ!」、という吹聴に惑わされて、本気でくよくよするのは、いかにそうした人の話に惑わされやすい人がいるかであり、だからまた、詐欺まがいの予言者が輩出するのかもしれない。
予言・予知に惑わされないためにも、自分のポリシー・マインドをはやく確立すべきである。
以前、不動産投資に迷っているお客さんのなかに、「大地震がきたらどうしよう(投資どころじゃない)」って聞いてくる人がいたけれど、大地震がくるかもしれない、ということが迷っている原因だったとしても、私は「起きたら、起きたでしょうがないでしょう」と、それしか答えようがないのだ。良くない予知を半信半疑にして、目の前の現実に対してリスクを背負わないで、こうなったらどうしよう、ああなったら大変だ、困っちゃうとか、ずっと考えている人がいるけれども、それではいつまでたっても、ものごとは前へ進むことはない。
すこし余談になるが、私自身、予言・予知といったもの大嫌いで、まったくといっていいほど信じていないのだが、たまたま仕事の関係者から占い師を紹介されたときに、将来を占ってもらったことがあった。それで、占う前に「悪いことは聞きたくないから、いいことだけを教えてくださいね」と前置きしてみてもらったら、「あなたは、これから先、ずっと成功し続ける」って言われ、その瞬間、ちょっと良い気分になった。
が、最後に「生きていればネ」と言われ、「バカヤロー」と心の中で叫んだことがあった。
また、新興宗教を装って、あなたは地獄に陥るぞ、みたいな予言をして、教祖が信者から五千万円だましとった事件など、よくお金を騙し取られる事件がニュースでとりあげられている。
予言・予知の類が好きで、信じたいという人でも、ほどほどに遊び心でとらえるべきである。
金を目的としたイカサマ宗教と、一般社会に認知されている宗教とは違うだろうが、宗教は、自分のためにならなくては、意味がない。少なくとも、お金を求めてばかりいる宗教は、どう考えても良い宗教とは言えない。
要は、良い事も悪い事も、起きそうもないことにおびえない、信じないことである。万一、どこかの予言があたっても、「それはマグレだ」と決めつけてしまえばいいのだ。
ちなみに、予感も予知・予言の類いだと思っている。
よく、本気か冗談かわからないが「オレの感が当たる」「オレのカンピューターだと」など、自分の感に基づいた話し方をする人がいるが、勘すなわち直感とは、合理的な認識がともなわないもので、科学的でないのである。
こころを科学するのが狙いである、本「成功へのこころの科学」に反するのである。